高山の祭屋台
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東山白山神社 神楽台
弘化4年(1847)創建。明治12年(1879)修理。明治24年(1891)に方形だった大太鼓の枠を丸枠に替え、三段形態の屋台とした。
明治の大改修の時に、高山の名工村山民次郎の手によって造られた。高山の神楽台の中では、三輪の小さな屋台であるが、数多くの彫刻があしらわれている。これらの彫刻は、飛騨の名工 谷口与鹿と村山民次郎の作品で、民次郎の作品は晩年に造られた作品のため、技術の粋を見ることができる。
Point 1屋台の特徴
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金森氏が入国する以前、東山白山神社は鍛冶橋の東詰めのところ(現在の秋葉社のところ)にあり、高山の町ができたときに現在地に移転した。そのため下三之町安川通りのエリアは、東山白山神社の氏子が飛び地となって存在する。そのため、数年に一度、屋台を安川通りまで引き出されることがある。ぶんねもん坂を上下するため、高山では唯一、坂を曳く屋台である。(最近は、太鼓を台車に載せて曳いていることが多い)
かつて、屋台ができるまでは行列の先頭を行く時に、太鼓枠を大八車に載せて曳き回した。その太鼓枠が現存している。平成24年3月に神楽台の創建時(1847年)の記録台帳「白山宮神楽再建議事払帳」から、「金八両 谷口与鹿 龍壱ツ志々六ツ細工代」と記してあったことから、彫刻の作者が谷口与鹿であることが確認された。
Point 2屋台の役割
- 神楽台は、飛騨においては獅子舞を伴い、御巡幸行列の先頭を行き、神様が通る場所を清めるという役割がある。そのため、この神楽台も、行列の先頭を曳き、獅子舞を廻す役割がある。高山の御巡幸で屋台を伴った行列は、この屋台だけかもしれない。
Point 3装飾の特徴
- 下段には大きな外御所車を配している。屋台の中段には、他の神楽台と異なり、中段に隅切窓を設け、岩、笹、虎を刺繍した緋羅紗の幕を張っている。また、屋台の獅子六体とと龍一体の彫刻は、飛騨の名工谷口與鹿の作品であることが近年確認された。下段の彫刻は村山民次郎の作品である。
Point 4見送り幕
- 剣旗という。薙刀を屋台の後方に取り付け、途中に切込みが入った赤い緋羅紗幕に白山神社の社紋を刺繍したものがあしらわれている。
Point 5屋台曳きの装束
- 屋台曳きの装束は、黒の股引姿に、「白山」の文字をあしらった法被を着用し、頭には、丸傘をつけている人と。茶色の法被に神社の社紋をあしらい、陣笠をかぶった人の二通りがある。この神社は、氏子が少ないが、御輿・屋台・獅子・囃子など各担当ごとに装束を変えている。大締り方は、高山祭の大梃子姿の陣羽織を着用している。
Point 6屋台囃子
- 明治年間に江名子獅子を継承し、戦後になって森下組から徳兵衛獅子舞を再習得している。徳兵衛獅子舞(全十六曲)のうち十二曲を習得して、祭礼で披露している。
Point 7台紋と提灯
- 東山白山神社の社紋が屋台組や氏子の提灯となっている。「宮」の字を図案化したものである。氏子区域内ですべての提灯が同じものを使っているのは、高山の市街地区周辺の神社ではよくみられることである。
からくり | 行われていない。 |
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