失われた屋台

文政台

  • 文政台1

享保3年(1718)祭礼行列書に見られる文政台の原台「猩々」は何年か曳いて破損し、休台していたが、ちょうど100年後の文政元年に再建された。この屋台は明治8年の大火で焼失したが、一部の部品が屋台組に現存している。現在は、志良車と呼ばれる台車を引き祭礼に参加している。

屋台の特徴

Point 1屋台の特徴

文政台の屋台は幕と車輪が現存しており、当番会所に毎年陳列されている。
昭和に描かれた想像図では、屋根は唐破風。赤毛の猩々の人形が飾られている。
提灯

Point 2提灯

下一之町の提灯はすべて「和楽」となっているが、提灯の左肩に各屋台組の台紋が描かれているため、一見して同じ提灯に見えるが、五つの屋台組でそれぞれが異なる。文政台の台紋は提灯、法被で異なっている。
台紋

Point 3台紋

文政元年(1818)に再建され年号をとって文政台と改められ、台名の文を崩したものを台紋とした。

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