失われた屋台
牛若台
下一之町本通りの東側から江名子川沿いにかけての「寺内町」の屋台。天保元年(1830)に「牛若台」と改名する前は「橋弁慶」と呼ばれていた。惜しくも明治8年の高山大火で焼失。現在は、志良車と呼ばれる台車を引き祭礼に参加している。
Point 1屋台の特徴
- 昭和に描かれた想像図によると、切妻風屋根の三輪の屋台であった。また牛若の名前の通り、「牛若丸と弁慶」 の物語のからくりがあったとの伝説がある。
Point 2屋台の役割
- 屋台組の正式な紋のほかに、笠などには「牛若」の文字を図案化した紋様が使われている。
Point 3台紋と提灯
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この屋台の台紋は、源義経の幼名牛若丸から源氏の紋である笹竜胆(ささりんどう)を台紋としている。
天保元年(1830)に「牛若台」と改名する前は「橋弁慶」と呼ばれていた事から台車幕や提灯には法輪「武蔵坊弁慶の紋」も使われている。