春の高山祭(山王祭)の屋台

大国台

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上段柱と屋根が違う動きをして、しなう動きを出している。寛政11年(1796)鳳凰台組より大国天を譲り受け祭神として祀るようになり、「松樹台」を「大国台」と改名した。大正13年(1924)に現台形に完成する。
屋台曳行順番抽せん祭で、大国台の順位が若ければその年は米価が高く、その反対であれば安いという伝承がある。中段欄間の石田春皐作飛龍の白彫り、下段の土村英斎作白彫りの獅子8頭が引き立っている。

屋台の特徴

Point 1屋台の特徴

伊達柱が欄間や上段の縁・高欄を支え、中段の中柱が上段柱・屋根を支え上部で枠を組み、枠と縁との間に透き間があり、伊達柱と上段縁・上段柱と屋根が前後左右にゆらゆらと揺れ、しなう美しさを作り出している。
屋根は切妻破風、台輪は黒塗り、大板車は内板車四輪、出入口は前面にあり朱塗りの絽張りの障子2枚をたてている。
屋台の役割

Point 2屋台の役割

14日・15日に宮本による指定の位置まで曳行、夜祭には下段、中段、上段、四隅の高欄、鳳凰につけた百余の提灯の灯は、昼間とは違った雰囲気を醸しだす。
夜祭において、中橋詰めの御旅所からは青龍台と共に曳行し、組の境界にて祝い唄、千秋楽を唄い、お神酒を酌み交わし、屋台蔵へと曳き別れる。
屋台やわいは班送りの屋台当番班、提灯の取り付けは同じく提灯当番班が責任をもって行い、屋台委員はその補助にあたる。屋台並びに提灯、各備品の片付けは各台帳をもとに照らし合わせながら行い、次の班へと引き継ぐ。
からくり

Point 3からくり

祭神として祀る大黒天は、鳳凰台の頃は腹中から七福神が舞い出るからくりであったというが、その機能は失い、首筋に糸が残っており、曳くと首を振り下を出すからくりの名残がある。
屋台曳きの装束

Point 4屋台曳きの装束

江戸時代の名残である火消組の「呂組」のさしこ半纏を青龍台組と一緒に組織していたため、同じさしこを使用している。リバーシブルになっているさしこ半纏の裏生地には、見事な龍が刺繍されている。
屋台曳きの衣裳は紺地、腰に3本水の半衣、背には「大」の字を膜っている。カルサンは黒字に茶色の竪水模様。
大梃子は黒塗りの陣笠に、打ち出の小槌を描いた黄色の胸当てをまとい、赤い陣羽織をはおる。屋台の前と後ろで被る大梃子の陣笠は形、模様が違っている。
屋台委員は、背に金刺繍の台紋を施した藍染法被を着用する。
屋台囃子

Point 5屋台囃子

囃子は「大八崩し」、笛・太鼓・締太鼓・摺鉦で演奏する。
屋台曳行の時は生演奏をするため、屋台囃子保存委員の指導のもとに幼い子供達も含め、本番に向け練習に励んでいる。
天井絵

Point 6天井絵

外から見えないが、昇り竜が描かれている。
台紋と提灯

Point 7台紋と提灯

神あるがごとくと読む「如神在」と書かれた提灯を提灯竿に吊るし、軒先にたてる。町内の南側入り口には大提灯をたてる。
屋台の台紋は打ち出の小槌3つを図案化したものである。
見送り幕 見送り幕はない。
装飾の特徴 屋根錺は千木、5本の勝男木、その両端の勝男木には鳳凰を載せている。妻は飛龍の彫り、欄間は群青地に星座、天幕は緋羅紗を配置し、その中央に大黒天を安置し、前に幣束2本立てている。
前面には簾、鏡を吊り、猩々緋の大幕を中段に張りめぐらし、槌文つなぎの打ち出の小槌の羅網を吊る。
中段は宝珠にシャグマの毛を付けた小柱を立て、各間に極彩色の波の彫りを備える。
毎年2月に甲子祭を行い、例大祭には班送りの屋台当番が松本家の一角にて青竹、賢木、赤土等を用い当番飾りを行い、神饌を備え大黒天を祀る。

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